庶民的なんです。なんかアートって買いにくいじゃないですか。値段も高いし、敷居も高い、みたいな風にはなりたくない。
お絵描き屋RULAH
text & photo by Nariya Esaki
ARTに触れたのはいつだろうか?もちろん音楽や映画もARTと考えれば決して少なくないかもしれない。少なくとも街中で音楽がかかっていない場所なんて探す方が難しいだろう。でもそれ以外のARTに触れることは、あまりないんじゃないだろうか?
「使えないものを作っても面白くないんですよ。これ使う?かわいいけど、これ使わないよね。そう思われちゃうとなっていうような。使えるこれ、使いやすいみたいな、そう言われるのは好きです」
ARTは使えないもの。もちろんそれが悪いと言いたいわけじゃない。でもそんなイメージを彼女は覆してくれるかもしれない。使えないものが故に触れる機会の少なかったARTが、日常生活で使う、たとえば靴に直に手で描いていく。それは既製品を、いや既成概念を壊す、まさにARTと呼べるものじゃないだろうか?だってそれはつまり、ひとりひとりが世界にひとつしかない手描きの作品≒商品を手にするということなのだから。
「最初は子どもの靴とか上履きに描いてて、大人の靴にも自分で1個買って描いて、ネットに両方出したら、大人の靴の方が反応良くって、だんだんそっちに」
絵を本格的に学び始めたのは専門学校に入ったころ。でも卒業後は高校からやっていたダンスにのめり込んで渡米。ダンサーになったのかと思うと。
「ニューヨークに行って、そのときにルームシェアしてた人がフラワーデザイナーだったんですよ。それでたまたまちょっとお仕事の手伝いとかさせてもらって、で、日本に日本に帰って来たら急に花をやりたくなって、近くに花市場があるんですけど出入りして、自分でホームページを作ってフラワーデザインをやろうとしてちょっとやってました」
ダンサーを目指して渡米したはずが、まさかフラワーデザイナーになって帰ってくるなんて、やっぱり人生なんて何があるか分からない。
「なんか手に職が欲しかったんですよね、きっと。ものづくりがずっと好きなんですよ。でも何を作るかっていうところでずっと迷った人生を送っていて」
実際フラワーデザイナーをやめたあとも「おばあちゃんになっても出来ることを何かひとつ身に着けたいなと思って」彫金のジュエリーの学校に通ったり、天然石のアクセサリーブランドを立ち上げたりするものの、子どもが産まれたり、様々な理由で決して長続きしなかったのも事実。でもそんな子どもができたからこそ、スリッポンのアイディアが浮かんだのかもしれない。
「わたしは全然そんな親じゃないですけどね、意外と売れるからやってるんです(笑)なんか自分で好きでやっていても売れないとやらなくなるじゃないですか。売れる方がやっぱり作ってて嬉しいし」
まるで商人、いや、ママだからこそ言える言葉かもしれない。好きだけじゃ出来ないのがママなのだ。それはちょっとLINEスタンプのもくもく母さんの愛すべき人間くささにもちょっと似てる気がする。あるいは彼女が産まれも育ちも板橋区というのが関係しているのかもしれない。
「でもそのまちが好きだから住んでるってわけじゃないんです。実家があるから住んでるだけなんですけどね」
いや、でもだからこそかもしれない。専門学校に行ったり、ニューヨークに行っていたりしたら、なんだかもう少し気取っていたり、背伸びしていたりしていても不思議ではないのに、全くそんな感じがしないどころか、千歳烏山のfavoriさんで開催された初の個展に足を運んでみても、靴屋さんと勘違いしてしまうお客さんがいるほど、そこには個展と言うよりも商店の匂いが漂っていた。
「簡単に買えるようにしたいんですよ。だから庶民的なんです。なんかアートって買いにくいじゃないですか。(値段も)高いし、敷居も高い、みたいな風にはなりたくなくて。誰でも買えるものにしたいんです」
(おわり)
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