自分の固定概念で思ってたお店のカタチだけじゃない、違うやり方もいっぱいあるんだっていうのを教えてもらった。
cafe kipferl
interview by Kotomi Akiba
edit & photo by Nariya Esaki
「自分でお店を持ってしまえば、自分がトップでやってる限り、仮にひとりでやってても、ま、生きてる間は現場にいられるわけで、そこで自営業だったら定年ももちろんないですし、カラダが動く限りはやってられる。そういう面を求めたのが一番ですね」
それは8年間勤めた飲食店をやめるきっかけにもなったことだった。それが直接的なきっかけではなかったかもしれないけれど。ひとつの要因になったのは確かだろう。そしてそう思い始めたらすべきことはひとつかもしれない。
「そういう方向にいくために目標があって、逆算してじゃないですけど、70になっても現場にいるっていうことを逆算していくと、だいたい何歳くらいでこれだけのことができるようになってて、何歳くらいのときまでに独立しておけば体力的にも余裕あるしっていうところで、ちょうどいいタイミングも重なってっていう」
ちょうどいいタイミングといのが、ウナ・カメラ・リーベラとの出逢いだった。でももちろん、そこにも逆算があった。
「2013年ですよね、なぜか2013年になったら攻めようと思ってたんです。2012年までは割とため込む時期って言うか、蓄積するだけの時期にしておいて、2013年になったら自分からどんどん足を運んで、動き始めようって思ってたんですよ」
でも動き出してすぐにウナ・カメラ・リーベラに出逢ったわけじゃなかった。
「自分の固定概念で思ってたお店のカタチだけじゃない、違うやり方がいっぱいあるんだっていうのを教えてもらったんですよね。その2人に」
もちろんひとりはウナ・カメラ・リーベラのオーナー。そして実は、もうひとり。
「まず2013年すぐにフランスから来たシェフの話を聴く機会があって」
それはそれまで悶々としていたお店を開くことに対する、ある種の不安と不満を晴らすものだった。
「その漠然としいて、どうしたらカタチになるんだろうっていうのを一瞬でカタチにして魅せてくれたのがそのフランス人なんです。生産者とお店を繋ぐやり方が、今のやり方じゃない方法があるんだっていう。すごくパーッと選択肢が増えたというか、自分の視野も広がって、もっと何でもありでいいんじゃないかっていう」
その考え方があったからこそ、ウナ・カメラ・リーベラの自由な考え方もスッと入って来た。そして実はそんな生産者とお店をつなぐ人に出逢ったのは偶然にもウナ・カメラ・リーベラで初めてキプフェルをやる日のことだった。
「ミーティングは出てて、その日だけは空いてるからやらないかっていう話で、空いてるならやりますって言って、それだけだったんですよ。で、荷物かなんか引き上げて来るときに」
偶然、ウナ・カメラ・リーベラの近くで野菜の見本市みたいなものをやっていて立ち寄ってみたら、今も取引が続く仕入れ先と出逢う。何だか出来過ぎているようだけど、本当なのだから仕方がない。
出来過ぎと言えば、物件も早く見つかって、キプフェルは予定よりも8か月も早くオープンすることになる。
「それはここが偶然見つかったっていうのもあるんですけど」
でもその2人との出逢いが何より大きかったのは言うまでもないだろう。いや、仕入れ先も入れれば3人、いや、最初の1年を支えてくれたスタッフのユキちゃんまで入れれば4人かもしれない。いや...言えばきりがないほど出て来そうだ。でもそれは一回、一回の出逢いを大事にして来たからこそ、紡ぐことが出来た証だろう。
だからこそキプフェルの料理には一期一会を感じるのかもしれない。
そしてそれはまちのことについて聞いて返って来た答えにもどこか表れているような気がする。
「たまたま今ここにいるだけの場所なんです。どこに住んでても、あんまり頓着はしないですね。旅先に行ったら、その旅先に住んでいるような感覚で滞在するんですよ。だからここも長い旅の途中で滞在しているだけの場所なんです」
(つづきます)
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