「何でもチャレンジ」souer shine@千歳烏山

もう何でもチャレンジだったんです。何にも知らないまま、ただ調べて、自分たちの足で突然行ったんです。韓国に。


souer shine



edit & photo by Nariya Esaki




❝souer shine❞ができたのは2014年の3月。これまでずっと――少なくとも5年は――シャッターが閉まっていた場所に出来たちいさなちいさな子ども服屋さんだ。千歳烏山は京王線沿いにある調布にほど近い世田谷の住宅街。しかし住宅街とは思えないほど、いや、だからこそと言うべきだろうか――「いい店は住宅街にある」というのがわたしの密かないい店の法則――魅力的な個人店が立ち並ぶまちだ。そんな千歳烏山の駅前の商店街を抜けたところに❝souer shine❞はオープンした。


そのはじまりはもともと子ども服が好きで――もちろん子どものために――お店もメーカーも関係なく、世田谷から埼玉や横浜まで子ども服を買いに行っていたふたりは、それぞれで販売や接客をやっていた姉と経理をやっていた妹とで、やれなくはないなと思って始めたのがネットショップだった。


「その最初からお店を持つっていうのは全然考えていなくって、なぜっかっていうと子どもが帰って来たときに家にいてあげたかった。何かあったときにすぐ動けるようにってことでインターネットでみましょうかっていう」


と言ってももともとインターネットの知識もなければ、仕入れの知識もないふたりは、ひとまず調べることから始めたそう。


「まず日本のメーカーから調べました。でも日本のメーカーは近くに卸しているところがあるとバッティングするので卸してくれないんですよ。関西系は特にですね。関西発祥っていうのは結構お洒落なところが多いんですけど、東京でたとえば隣の駅に卸してるってなるとそこの子ども服屋さんが嫌だってなったら卸してくれないんですよ」




「手ごろなやつはないかねーって考えてたんですね。そうしたときにたまたま知り合いの方からか中国のお話しを頂いたんですね。で、やっぱりどこのメーカーのものを見ても中国で生産してるものがすごく多いんですね。そこがきっかけで、まず第一段階で中国から調べるようになったんです」


しかしその知り合いの人とはなかなか時間が合わず――そして中国と日本の関係悪化のため――結局、中国は断念。そこで調べているうちに出て来たのが韓国だった。


「もう何でもチャレンジだったんです。何にも知らないままにただ調べて、自分たちの足で行ったんです。何にも知らいないし、ほとんど情報もなしに行きました。もちろんだいたいここにあるだろうって問屋くらいは調べてたんですけど。でもそれが買えるかどうかは何にも調べずに行くだけいってみようって」


そんなことを聞くと韓国語ぐらいは喋れると思うかもしれないが、韓国語は全く喋れないし、もちろん通訳を連れて行ったわけでもなかった。文字通り「自分たちの足」だけで行ったのだ。しかしその頃はまだ韓国語が飛び交うだけの日本人が珍しい場所で彼女たちがとった行動は...


「ジェスチャー(笑)でもあるひとりの韓国の方がすごくいい人で、こういう風に買うんだよっていうことを教えてくれたんですよ。韓国語と英語とジェスチャーと数字とかいろんなのを交えて教えてくれたんです。でもやっぱり通じるものがあって。自分たちがこうやって買いたいではダメだって、向こうにも通じるんですよね。ジェスチャーと数字でダメなんですか?ってやったらダメって」


そうして始まった仕入れは最初は二転三転するような酷い目に遭いながら――注文した柄とは違うものが入っていたり、頼んだサイズのものじゃないのが入っていたり、でも彼女たち曰く海外にありがちな恐い目には遭遇していない――通ううちに意思の疎通ができるようになった。もちろん、だからと言って韓国語が喋れるになったわけじゃないけれど。


「向こうの人は英語ができるので、わたしたちは全然喋れないですけど、でも何となく聞いてれば、韓国語よりは英語の方が部分的に聞き取れるので、こういうこと言ってるのかなーとかで何となくわかる。で買って来てそれからインターネットを始めるんですけど...」




(つづきます)



soeur shine


営業時間:2018年に閉店

取材:2014年6月27日






Nariya Esaki

kosa10magazine主宰。テレビ業界からレコ屋店員を経て現在埼玉県北本市在住の二児のパパ。

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「好き」と生きる、「まち」と暮らす。